3月28日唐木戸陶苑で美術の仲間たちで花見。雑木林を借景の庭は今の時代はとても贅沢。さりげない演出で楽しいひと時を過ごさせてもらった。火を炊いて眺めていると懐かしい子供の頃が甦ってきてせわしい日頃をしばし忘れる。世の喧騒など遠いところの事に想えてとてもハッピーだった。あまり離れていない年代との交流、絵を描く人々は書の人とは亦違った広さがあるような気がする。ジャンルが違って気分も変わる。展覧会の会場の交流とは異なった奥深い何かがあって琴線を刺激される。しぎの様の演舞も見せて貰い福地王の解説を聞いて百済がより近くに感じられる。歴史を止める高鍋の地名など大切に残すべきを思う。
唐木戸のご夫婦、準備に心砕いてくれた仲間に感謝!
2010年3月28日日曜日
2010年3月25日木曜日
タペストリー 完成
昨日念願のタペストリーがようやく完成。とても素敵に出来上がって満足。会場をシュミレーションしながら次々作品をこしらえる。宮日会館の個展(5/4~5/9)まで残すところ一月に迫る。これからが山場。気を張って頑張らなくては!追い込まれないと火が付かない。追い込まれて書ける作品は日頃の温存している力しか出せないのでいかに今までの訓練?が大切かと言う事だ。つまり今から一月は掛値なしの自分をさらけ出さねばならない。
神様・・・・・佳いご教示をお与え下さい。
神様・・・・・佳いご教示をお与え下さい。
2010年3月21日日曜日
DM・パンフレット
個展用のDMとパンフレットの原稿が出来る。百枚位なら自分で印刷も可能。唯、次の東京を考えれば印刷に廻した方が得策。少し保留しておこう。パンフは報道関係用だからもうこれで今回は完了。あとは告知に使って看板を作成すればよい。
書き溜めた作品を裏打ちに廻して額に入れなければならない。額は新しく購う余裕はないので入れ替えて使用する。着せ替えと思って楽しめばよい。そのうちこれは!という物ができるかもしれない・・・・
ぼちぼち歩きながら頂上を目指そう。確かに歩いているのだから。
書き溜めた作品を裏打ちに廻して額に入れなければならない。額は新しく購う余裕はないので入れ替えて使用する。着せ替えと思って楽しめばよい。そのうちこれは!という物ができるかもしれない・・・・
ぼちぼち歩きながら頂上を目指そう。確かに歩いているのだから。
2010年3月16日火曜日
晴れない 気分
3ヶ月ぶりに呼吸法の教室に行く。体の故障はないのだが何となく気分が晴れない。やることがおっくうになる。これはうつの前兆なのだろうか?季節もこの時期は不安定だし思えば例年この季節は落ち着かないような気がする。今年はとりわけそう感じるのは何故だろう。仕事や体、心の過渡期なのかもしれない。一点を見つめて邁進していくつもりが色々なことにとらわれて気が散漫になっているのだろう。上手くクリアー出来ないことにとらわれ過ぎるとそこから心が離れなくなる。一つ詰まると次々詰まっていく。悪循環を引き起こす。何故こうなる?季節の所為にしたり、人の所為にしたり・・・・つまり、自分をみつめることをしなくなる。
気を取り成して取り掛からねば時間がなくなる。さあ!元気を出して頑張ろう。
井の頭公園を歩いて神社におまいりして来た。感謝というキーワードが何回も出てきたのはそれが不足しているということかも知れない。自戒しよう。
気を取り成して取り掛からねば時間がなくなる。さあ!元気を出して頑張ろう。
井の頭公園を歩いて神社におまいりして来た。感謝というキーワードが何回も出てきたのはそれが不足しているということかも知れない。自戒しよう。
2010年3月4日木曜日
義母を訪問
アルツハイマーの義母は施設で暮らしている。月に何度か仕事帰りに行くことにしている。先日、昼食前だったけれど会いにいった。「会いたかったよー」と声を掛けると目をうるうるさせて喜んでくれる。ひな祭りの日だったのでテーブルの上に置かれた紙片の(ひな祭りの歌)を小さな声で歌っていると途中から義母も所々口ずさみ始める。色んな事は忘れて自分の名前も子供の顔さえわからなくても心のどこかで記憶している部分があるのだろう。今日の新聞(読売、目覚めぬ子を育てて)に仮死状態で生まれて意識も自発呼吸もできないままの子供を育てている記事を読んで子供には普通の人とは違った形の意識があって色んな事を感じ取っているのではないかとある。まさしく、義母の場合もこれに似た事だろう。言葉で表現出来なくてもこころで現わす。勿論、言霊という事もあるのだが言葉を超える何かも存在する。気が付く、気に入る、気に障る・・・・・気の世界は量り知れないもの、宇宙の神秘。
義母からプレゼントを貰った気がする。
義母からプレゼントを貰った気がする。
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